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雑記

旅をしたくなると村上春樹の「遠い太鼓」や「雨天炎天」ばかり何度も読んでいたのですが、最近は星野道夫さんの本に手が行きます。

「長い旅の途上」星野道夫より引用

あわただしく過ぎ去ったこの一年を振り返ってみると、やはり子供の存在が大きかった。アラスカの自然に憧れ、この土地に移り住み、根無し草のように旅をしてきた自分が、家庭をもち、父親になった。それは家を建て、アラスカに音をおろしていった時と同じように、まわりの風景を少しずつ変えている。中略

やっと歩き始めた息子はまるでこの時期に課せられた仕事であるかのように、転び、落ち、毎日のように頭や身体をぶつけている。何度かヒヤッとさせられることもあったが、まあ何とか生きのびている。子どものもつ生命力に驚きながら、死と生が隣り合う、あっけないほどの脆さも感じている。中略

ベッドから転げ落ち、大きなたんこぶをつくって泣き叫ぶ子どもを前にして、ふと考えたことがある。かわいそうだとおもい、出来れば自分がかわってあげたいと思いながら、どうやってもこの子の痛みを自分は感じることができないのだ。ぶつかったのは自分ではないのだから、あたりまえのことでもある。しかし、親は我が子の痛みを自分の痛みとして感じるという話があるではないか。いや、身体の痛みと心の痛みは違うということなのか。
それなのに、僕は泣き叫ぶ息子を見つめながら、”この子は一人で生きてくんだな”とぼんやり考えている。たとえ親であっても、子どもの心の痛みさえ本当に分かち合うことはできないのではないか。ただ一つできることは、いつまでも見守ってあげるということだけだ。その限界を知った時、なぜかたまらなく子どもが愛おしくなってくる。中略

あと、十日もすれば、冬至。この土地で暮らす人々にとって、その日は気持ちの分岐点。極北のきびしい冬はこれから始まるのだが、太陽の描く弧は、少しずつ広がってくる。そして人々は、心のどこかで、春のあり方をしっかりとらせている。今日も、太陽は、わずかに地平線から顔をのぞかせただけだ。沈んでいった夕陽が、少しの間、凍てついた冬の空を赤く染めている。やがて闇が押し寄せてきて、長い夜が始まってゆく。陽の沈まぬ夏の白夜より、暗黒の冬に惹かれるのは、太陽を慈しむという、遠い記憶を呼び覚ましてくれるからなのかもしれない。忘れていた、私たちの脆さを、そっと教えてくれるのだ。
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